南相馬を訪ねて 2

b0258241_17104354.jpg私達は南相馬の方々にとてもあたたかく迎えて頂き
ました。

川口市鳩ヶ谷ボランティア連絡会も、この度たくさんの支援金を集め、南相馬市社会福祉協議会にお渡ししました。

ひまわりの会として、10月のボランティア見本市で集めたメッセージシーツを、会長に渡し、社協のロビーに飾っていただけることをお約束頂きました。

午後の仮設訪問は2班に分かれ、入居者と交流
私は第2仮設
自治会長さんと、仮設の方々(皆さん女性)と
お話しをしました。
くらしの難しさ、でもここの仲間との交流の
ありがたさ…

自治会の運営にたいしての、
行政とのギャップ…

また床が低く、ひえる地面からの寒さ、壁も薄く、
この冬をどうやって越えなければならないか

寒さと精神的の疲れは、私には耐えられないかも
「ふつうの暮らし」に戻るまで、先の見えない不安
どんな高齢者でも、将来の希望はあります。
国も県も市や町も一生懸命に動いているのだと
思います。
でもその歯痒さは何なの?

仮設の方々に贈り物を持って行きました。
ボランティア連絡会から手作りセット(花柄のデコ
パージュ石鹸、ナイロンたわし、1枚1書きあげた
メッセージいりの絵手紙)
ひまわりの会はサロンの度に折っていた千羽鶴、
きじばとから預かってきた千羽鶴、
千羽鶴は内心、集会室に飾っていただくのは邪魔
かな…と心配していました。
でも「あたたかい贈り物もらい、涙がでちゃう」とのお言葉
あ〜私達の応援する気持ち、伝わったかな?

鶴を渡した写真撮って、きじばとにメールで送りました。
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南相馬の方々、きじばと、ひまわりの会、ボランティ
ア連絡会 が繋がりました。
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# by himawari0110 | 2012-11-22 12:03

ひまわりサロン 11月報告で~す

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11回ひまわりサロン
今日は午後から 浪江出身の橘さん(上尾在住)のコンサート
午前中はいつものおしゃべりサロン
20日に市役所の避難者関係部署の方々と話し合いを持つことになっていたので、会としての意見をみんなに求めました。

11時頃、ずーっとお誘いしていたけれど参加できなかったK野さんが、来てくれました。
今の住まいに落ち着くまで7ヶ所住まいを変えた
今年の5月に夫をなくし、ご自分も首の骨の難病でこちらに来て手術され、現在ひとり暮らし
毎月うるさい位電話をして、やっとでてきてくれました。
わたしが一番うれしかった…?
とおもいきや
ボランティアで参加のHさん
震災後、川口市西スポーツセンターでのボランティアでK野さんに出会っていて、その後会う機会もなく、心配していたとのこと
1年7ヶ月目の再開
元気でよかった〜
きっと震災直後に出会ったボランティアさんと避難者は出会いたい人っているかもね。
避難者はお礼をいいたいし、ボランティアさんはずーっと心配している。
出会える場があればいいね♥

これからも繋がっていけたらいいね。
新しいひまわりの花が咲きました。

ごごは橘さんのミニステージ
被災者でなければ歌えない唄
私達も前日に福島の光景をみたばかりだったので
なみだ、涙、、、
橘さんのお人柄、
とても心が健全でさわやかで、素直にきけました。
ありがとうございました。
もっと多くの人に聞いてもらいたいと思いました。
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# by himawari0110 | 2012-11-21 12:02

南相馬を訪ねて 1

東日本大震災被災地日帰り視察研修  報告

11月13日川口市鳩ヶ谷ボランティア連絡会で南相馬市を訪ねました。
大型バス総勢38名
私たち「ひまわりの会」では代表Kさんと私の2名参加
私は浜通りに震災後入るのは初めてです。
何年か前に夫と海岸線を茨城まで走ったことがあり、その時の穏やかな風景が頭に残っています。

日程は、朝まだ暗い6時に集合浦和インターより、東北道で南相馬市まで3回のトイレ休憩を入れ11時30分到着
途中の県道12号原町川俣線では、除染と車道の補修工事にあたり工機が入り道がふさがって、2度もUターンをさせられました。
「これは普通のツアーじゃない」とみんな感じたはず
南相馬市社会福祉協議会では温かく迎えられました。
会長さんのお話より・・・「わたしはあの日より1年8ヶ月という言い方ではなくて
本日で614日と数えています。」と言ったのが印象的
現在南相馬市は警戒区域および計画的避難区域から市内の区域に自由に立ち入りすることが出来るようになりました。
しかし7万人の人口のうち1,8万人の人が市内には居住せず、5400人の人が故郷と離れ。転出してしまいました。
市内の仮設入居世帯3000件 待機世帯300

南相馬の市街地は
市役所は機能していても、街中はゴーストタウン状態

午後は仮設住宅の集会室で、仮設の方たちとの交流(この報告は次回)
2時過ぎにこの地を後に
「ひまわり」の代表Kさんの案内で、一般の車が
入れるすれすれのところまでバズで走る。
1年8ヶ月経っても、途中ガードレールは波の力に押され、形がゆがんだまま。
田んぼだったようなところには、まだまだたくさんの車が投げ出されていた。
鉄くずみたいな大きなごみは積まれて、
以前は視えなかったという海が津波で住宅がなくなったので、向こうに見えた。
b0258241_17205192.jpgバスの中からでも、まわりの風景が何か「この世の不思議。人間には手におえない力」と思われる空気に占領されているような・・・
寒気がし、早くここから立ち去らないと帰れなくなる・・・そんな感じがした。
それを口にすることさえタブーのような気がしたので、言えなかった。

アー平和な地域がこんなになってしまった。

福島の浜通りは紅葉で美しかった。
でも、どんなに美しくなっても、ほめてくれる住人がいないので木々に元気がない。

早く早く、元のくらしができますように
美しい故郷に戻りますように

また3回のトイレ休憩とお買いもの
お買い物も被災地支援
川口の到着は9時
ボランティア連絡会の方々お疲れ様~

疲れたけれど、この日に出会った方々の笑顔と、一生懸命生きている様子に接することが出来て、福島に行って良かった。
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# by himawari0110 | 2012-11-21 09:37

いやいや、失敗です!!

私たちの活動の目的は何だったのだろう

ひと月に1回集まり、情報を仕入れたり、安否確認、つながりを持って、次につなげる。
笑いあり、涙あり・・・OK
そんな温かいサロンを想像していた。

川口に住んで、よかったと思えるよう、地域の者として「ひまわり」を支えよう。
サロンを開くにあったって、当事者ではできないことをしよう!
と思って活動をしてきた。

私たちの活動は「来る人を待っているだけだったかも・・・」
もう少し実在感を出しては
避難者の要望を少し出しては

ということで、実は大失敗したのだが
東電説明会を計画し、チラシも配ってみた。

説明会を、自宅に来て説明してくれた程度の物でー
「わかりやすく、優しく教えてもらおう」
それもこれも、主婦感覚
良い意味で・・・


計画は1か月以上余裕も持って、会場も押えた。
マイクも2本借りた。
・・・と東電に連絡したのは日程の20日前
(アレ?遅くない?)

慌てたのは私たちよりも東電
自分たちの知らないところでチラシが配られている!
10日東電の人が2人話し合いに来た。
私はその話し合いに入らなかったが、責任問題にもなったらしい。
東電は大きな組織、
たとえ参加者5名でも嘘の説明はできない。
説明してくれる人は、東電の代表者なのだから。
依頼からの日程は難しい。
参加対象者について決まりを作ってもらいたい。
(想像するに、困ったサンが来たら?)
説明会が今回できないことは、確認しなかった「ひまわり」の
会の責任(ごもっとも・・・)
代表の後からの報告は、ちょっと大まかではあるけれどこんな感じ

それから私たちは本格的に慌てた。福玉会議の時に、労福協の事務局にチラシを
福玉便りと一緒に送ってほしいとお願いし、もう発送済みだったから・・・
お詫び文も正式なものにするために労福協の事務局長さんに添削してもらい郵送する。
封筒と80円切手をもらう。

東電説明会の開催において、ひまわりが違う活動ができ、新しい仲間が増えればと思って計画した。
私は当事者ではないので、残念ながら今みんなが何を知りたいのか、何が必要なのかわからない。
それ以降、東電の説明会の話はメンバーの中ではでなくなった。
きっとそんなものだった?のかもしれない。
そんなのでいいの?
聞いてみたい。
自分の活動に対する姿勢について、反省してみる。
甘さを見逃していた 自分・・・
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# by himawari0110 | 2012-10-29 00:59

私の友人Mさんのこと

10月20日、静岡に住んでいた時からの友人Mさんと
渋谷bunkamuraで熊川哲也のバレエ「ドンキホーテ」を鑑賞

バレエや歌舞伎を鑑賞する穏やかな友人になれるとは、知り合った20年前には考えられなかった。

子どもが生まれる1年前にチェノブイリの原発事故

1989年夫の仕事の関係で静岡の相良町(牧之原市)に引っ越し
何にも知らないで住まいを移したところは、茶畑と美しい海と原発11キロのところだった。

彼女とは、子どもの幼稚園のお迎えの時間のおしゃべりから仲良くなった。
我が家の食事は安全なのか、添加物だけではない危険なもの
わが町の水道水は安全か  私はずいぶん勉強させてもらった。

そして原発
私は「浜岡原発に対して?」という立場で、地震と原発の学習会や集会に行く程度の活動
でも友人Mさんは「浜岡原発増設絶対反対!!東海沖地震が起きたらどうなるのか」中電に車のナンバーをチェックされるくらい浜岡に通い、声を出してきた。

彼女ほど信用できて、優しく、心細やかな人はいない。
しかし、『原発反対』っていうのは特別な色を付けられる。
地域でも別扱いの人になっていった。
私が埼玉に移る2年前くらいから、活動に疲れたと言って活動を停止させた。
理由は、自分が信じていることを一生懸命貫いてきたけれど、何にも変わらなかった・・・

7年前から50歳過ぎたおばちゃんが、少女の頃憧れていたバレエを始めた。
発表会にも出させてもらって若い人たちの中に混ざって足を上げているようだが、残念ながらお誘いがなく、チュチュを着た彼女を見ていない。
毎週金曜日、浜岡に背を向けて150線を車を走らせてお稽古に行っているようだ。

昨年3月、私たちが「静岡で起きたらどうする?!」心配していたことが現実に起こった。
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# by himawari0110 | 2012-10-23 01:54